なぜこの事業なのか

血縁も地縁もなく、仕事もない。
文字通りゼロスタートから、白山麓での生活は2020年で丸6年となります。

出身は東京で、Iターン移住です。
よく「なぜ、白山麓へ?」と聞かれますが、本当に直感で、それ以外の理由は特にありません。
あえて言うなら「『心動かされる景色』があったから」です。都会育ちの私にとって、白山麓の景色は「ずっと見ていたい景色」だと直感的に判断したのだと思います。

移住して半年ほど経った2014年9月に白山に登りました。生まれて初めての登山でした。
日本百名山の一つだとか、日本三名山の一つであることも知りませんでした。体力的には自信がありましたが、けっこうきつかったです。妻と一緒に6時間ほどかけて山頂まで登りました。また、自宅から車で10分ほどの場所にある「白山比咩神社」が白山と深い関係のある凄い神社であることもこの時初めて知りました。

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異業界へ飛び込んで気づいた価値
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一番山奥にある中宮温泉の公共施設や白山登山道の整備などに3年ほど携わりました。
全くの異業界からの転身で、今振り返れば、宿運営に関わることはある意味「無知だったから出来た」と思います。それだけ「大変であり、現実を知った時間」でありました。皿洗いから始まり、トイレや風呂掃除。食の勉強をということで、調理師の資格も取りました。また「中医薬膳指導員」の資格を取ったのもこの頃です。食材を生かすということ、宿として人を受け入れるということ、この地域の「らしさ」を表現すること。「移住前に描いていた青写真とずいぶんかけ離れたこと」に対して、時には「こんなはずでは」と後悔したことも、時には心折れることも正直ありました。

ただ、同時に、ここ白山麓の魅力と言いますか、奥深さを知れば知るうちに、「ここしかない、これしかない」という思いも込み上げてきたのもこの時期でした。しんどいと思う反面、不思議なもので「辞めよう」という選択は頭になかったです。

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「起業しかない」と決意
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白山麓という場所は住むにも、働くにも大変な場所です。移住後、しばらくしてから実感しました。さらに、私たちが携わっていた中宮温泉は、11月下旬~4月中旬は冬季閉鎖になるので、「冬の仕事どうするか」は常に抱える課題でした。事実、私たちも、冬の間岐阜県のスキー場近くのレストランに出稼ぎに行ったこともありました。

この時、「白山麓にしかないもので、自分たちにしかできないことで、人の役に立とう」と夫婦2人で決めたので、「1年を通して出来ること」を考え、考え、考えまくって、「それなら、自分たちでやるしかない!」と決めました。起業がしたくて移住したわけでもなく、移住してからある意味で運命的に気持ちが固まった形です。

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胃腸の健康に寄り添うこと
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「自分たちでやるしかない!」と決めてからは早かったです。白山の豊かな恵み、白山麓に根づく発酵食文化、取得した調理師の免許と中医薬膳指導員の資格の全てを掛け算して、行きついたのは必然と「胃腸の健康」でした。
そして、「できることは全部やろう」「できる限り寄り添おう」ということで、それを実現するために動きました。それが今の「1日1組限定の宿泊」と「活きた発酵食の製造販売」の両輪です。