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大川慶

東京都足立区出身。慶應SFC総合政策学部卒業後は、憧れの藤原和弘氏と同じリクルートへ。様々な経営者と働き方に出会い、「一生をかけてできる仕事」について本気で考えるようになる。

主に発酵食の製造全般を担当する工場長。

小さな作業現場で黙々とつくる日々です。毎日のように糀と触れ合っていることもあり、香りや手触りだけで状態が分かるようになりました。調理師、中医薬膳指導員。

実家は横浜市です。学生時代は海側の人(オーストラリアでライフセービング資格も取得)だったのですが、今は山側の人に。

社会人になって最初の赴任地が金沢であったことが石川県との最初の出会いでした。学生時代から「二拠点生活」に憧れていたこともあり、社会人3年目に中古物件であった今の土地・自宅棟を購入。

将来いつかは住むだろうという勝手なシミュレーションの下で「計画的無計画な人生プラン」がスタート。

好きな言葉は「風が吹けば桶屋が儲かる」。

フランス語で「風」を意味する「ルヴァン」は1日1組限定のライフスタイルの名前の由来に。

大川幹

Aotan → Aroma → north Hakusan

加賀棒茶ブレンドやアロマ商品全般を担当する癒し担当役員。POPなどの広報も担当。庭で育てる植物の手入れや、薬草摘みから乾燥させる作業まで、自然と触れ合う細かな作業が得意です。調理師、中医薬膳指導員、アロマセラピスト認定。

大阪府大阪市出身。両親ともに商売人で、生粋のナニワ商人の血筋。2013年、初めて白山麓の家に来た時の最初の言葉は「めっちゃ暗いやん」。

アロマセラピストとして植物に触れていたこともあって、庭づくりではその知識や経験をいかんなく発揮。鎌すら使ったことがなかった夫を見事にリードし、現在の庭を完成させる。

庭ではハーブや生薬を含め約70~90種類の植物を育てています。畑では宿泊のお客様へ提供するための野菜なども育てていて、日々管理に励んでいます。

白山に移住した理由

なぜ移住先として石川県の、しかも白山麓を選んだのか?ということの明確な理由はありません。

強いて言うなら、生まれてから大学卒業まで都会にいたので地方での「田舎暮らし」に憧れていたことです。

そんな中で、最初の赴任地が金沢でした。(横浜市金沢区→石川県金沢市へ)

1度くらいは不便な生活をしてみたい、という軽い気持ちでした。

白山麓にした理由は、大学時代の留学先のオーストラリアのパースで見た景色と、営業車で走っていた時に見た白山麓の景色が似ていたというのが一番の理由です。

当時は社会人になって3年目でもあったので、そもそもここで何がしたいの計画はあるはずもなく、「将来、季節の良いときに別荘感覚で来れたらないいな」くらいの気持ちで購入しました。

購入したのが2009年、正式に移住したのが2014年だったので、5年間はそれまでと変わらない会社員生活を送りました。

会社員時代では、様々な業界の経営者にも会う機会が多い仕事だったこともあり、いろいろな刺激を受けました。中でも、ベンチャー企業を創業した兄弟2人から聞いた面白エピソードは、「私自身も何か事業をしてみたい」という一番の刺激・きっかけとなりました。

移住後の4か月

正式な移住は2014年5月でした。仕事を辞めてから「行こう!」と思い立ち、同時いた大阪市内から2人で引っ越しました。

何か仕事が決まっているわけでもなく、具体的にどんな暮らしをするも決めていなかったので、引っ越して初めて「現実を知る」という感覚になりました。ただ、「この自然環境を活かした何かができれば」という漠然とした思いはあったので、それに向けてできることから始めました。

そんなスタートから4か月ほどは2人で敷地内の庭づくりに没頭しました。およそ100坪の雑草だらけの庭を鎌とスコップの手作業で全て掘り起こしては草木を植えていくという作業をほぼ毎日しました。

白山との出会い

自分たちで何かしようにも、縁も所縁もない場所の白山麓で仕事もなかったので、とりあえずハローワークに行ったのが2014年9月のことです。そこでたまたま出会ったのが白山国立公園内の中宮温泉の宿公共宿の管理でした。石川県の中でも最も山奥で、鄙びた温泉地にある「ザ・昭和」の公共宿の管理者を2人募集していたタイミングで私たちが応募しました。

白山という山の存在すら知らなかったので、その時が白山との最初の出会いです。宿の運営もしながら、同時に白山奥宮(白山の登山道や頂上付近含む)の整備・管理の仕事にも携わりました。

登山経験もなかったのですが、草刈機や食糧を担いで白山の中心部で仕事をしました。白山の神様は当然ながら山頂にいますので、この未知なる仕事を通じて、「白山の神様(菊理媛というご縁の神様)」が私の身にも寄り添ってくれるようになったのもこの頃からです。

あの日あの時にハローワークに行ってなかったら白山との出会いもなかったでしょうし、登山未経験ながら無謀にも白山の管理の仕事をしようと足を一歩踏み出したことが今の仕事につながっています。

「風が吹けば桶屋が儲かる」的に進み始めた瞬間です。